木製です!
色をつけてない部分は、塗り忘れでも手抜きでもなく、そのまま板の感じの方がそれっぽいかと…
百人一首に入っている紫式部の歌より
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半(よは)の月かな
せっかく久しぶりに逢えたのに、それが貴女だと分かるかどうかのわずかな間にあわただしく帰ってしまわれた。
まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように。
「新古今集」には、幼友達と久しぶりに逢ったが、ほんのわずかの時間しかとれず、
月と競うように帰ったので詠んだ、と本人が書いています。
そうしたことから雲間にすぐ隠れてしまう月になぞらえ、
再会した幼友達とつもる話もできずに帰られてしまった寂しさを詠んだ歌です。
ある記事より
紫式部は、お父さんの藤原為時が越前(今の福井県)に赴任したため、
20代の半ばに地方で暮らしました。しかし、雪国での厳しい生活が辛かったのか、
1年ほどで都に戻っています。
今のように交通も発達しておらず、電話もテレビもない平安時代。
都を離れて遠国の越前で暮らすのは、相当な淋しさがあったのでしょう。
幼い頃、兄が読んでいた「史記」(中国の歴史書)をたちまち暗記し、
兄の間違いまで指摘してしまったほどの才女ですから、
その思いはひとしおだったに違いありません。この歌にはそうした背景があります。
歴史に残る越前の国は、今の福井県東北部。東を加賀の国と接しており、
古くから開けた土地です。紫式部の父、藤原為時が赴任したのは、現在の武生市。
越前富士とも呼ばれる霊峰・日野山や日野川などの景観で有名で、
紫式部をしのび広さ3000坪の寝殿造りの庭園「紫式部公園」が設けられています。
日本最大の女流作家の意外な地方生活時代に思いをはせ、一度訪れてみてはいかがでしょうか?
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